空が青くて涙が出るよ

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人間賛歌というより白人男性賛歌 - 『グレイテスト・ショーマン』感想

俳優と作曲家にお金をかけすぎて脚本にかけるお金がなくなってしまったのか?

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ミュージカルファンやヒュー・ジャックマンファン、ザック・エフロンファンなどが首を長くして待っていた映画『グレイテスト・ショーマン』が先週末満を辞して公開され、私も観てきました。言いたいことがいっぱいあるので記憶が新しいうちに感想を書こうと思います。ネタバレします。ネタバレっていうほどの内容がこの映画にはない気がするけど。8割否定的意見です。


オープニング

まず間違いなく良かったのが、歌の数々。序盤も序盤、20世紀FOXのロゴが出る時点からもうエネルギーがビシビシ伝わってきて、興奮せずにはいられませんでした。ヒュージャックマン演じる主人公バーナムの口にする最初のセリフ「This is the moment you've been waited for.(ずっと待ち望んできた瞬間が来た)」は、自分のショーの幕が上がる瞬間を待ち望んできたバーナムが自分自身に語りかけるセリフでありながら、同時にこの映画の封切りを待ち望んできた観客の心情にも重なり上手いなと思いましたし、自分が劇中にいる観客の一人になったように感じられて一気に引き込まれました。私も一緒に足踏みしたいよ。あと確かこの部分日本語字幕では「開演の時がきた」みたいな訳がつけられていて、「開演」という言葉を使っていたのが上手いなあと思いました。この映画はそれ以外の部分も日本語字幕がすごく良かったような気がします。"This Is Me"の訳とか特にアツかった。さすがプロ。


不気味なストーリー展開

全体的なストーリーラインが壊滅的に雑だから例を挙げるとキリがなくなりそうなんですが、特に印象に残っている部分を書きます。

まず、映画内でバーナムはアイデアに行き詰まったときにふとリンゴを手に取り、そこからヒントを得て新しいビジネス(後のサーカス)を立ち上げ始めます。これ、「子供時代、空腹に苦しんでいたところを見知らぬ子にリンゴをもらって助けられた記憶が蘇った」って解釈しか私にはできないんですけど、つまりバーナムはあの瞬間「僕が困ってお腹をすかせていたときになんの見返りもなく自分のリンゴを渡してくれたあの子!あの子みたいな子を見世物にしてお金を稼ごう!」とピンときたってことでいいんですか...?当時そんな目でしかあの子を見られてなかったの...?人の心がなさすぎない...?と純粋に恐怖を感じました。サイコパスの視点で物語が進んでいくホラーかよ...怖いよ...。

それに、レベッカ・ファーガソン演じるジェニー・リンドがバーナムに関係を迫り、断られたら逆ギレして舞台上でバーナムにキスしツアーを放棄する展開。「は???そんなことある????」と思わず声が出そうになったんですけど、鑑賞中は「まあでも本当にあった話だから入れてるんだよねきっと...そうじゃないとこんな展開にさせないよね...きっとそうだよ...」と製作者の人間性に賭けていたんですが、全部フィクションでした。ふざけてんのか???実際にはリンドとバーナムは最後までプロフェッショナルな関係であり、彼女がツアーを降りた理由はバーナムのツアー運営方針に居心地の悪さを感じ始めたためで、彼女とバーナムは平和的に別れたそうです。...もう嫌になってきた...なんでこんなデリカシーとモラルのかけらもない女性描写しかできないわけ...調べれば調べるほど嫌いになるこの映画...。

あと、このオペラ歌手リンドが歌う"Never Enough"。心揺さぶられる良い曲だとは思うけど、「お、オペラにしてはちょっと軽すぎでは???ポップソングじゃん...」って感じでしたし、しかもあれだけ本物を見たい本物を見せたいとバーナムに言わせといて、レベッカ・ファーガソン歌ってないの?!??まじで何がしたいのか理解できないんですけど...怖いよ...どういうことなの...。

 

マジョリティありきのマイノリティ描写 

マイノリティのキャラクターが白人男性ありきの存在にされてたのもかなりムカつきました。例えば、ゼンデイヤ演じるアンは、フィリップに惹かれる瞬間はなんとなく描かれていたような気がするんですが(「劇団員全員で女王に謁見する許可をもらえないのなら行かない」発言にニコッとしたり)、彼女自身がどんな人物なのか、何を考えてるのかはいまいちよく分からなくて、フィリップに恋するだけの存在というか、ただフィリップのストーリーラインを深めて花を添えるために存在してる感があって気持ち悪かったですし、ゼンデイヤという、一人でも圧倒的な輝きを放つスター歌手/女優がいてもそんなつまんないキャラクター作りしかできないの??という気持ちになりました。

他にも、マイノリティたちがマジョリティ(多くの場合バーナム)に都合よく動く存在でしかない描写ってかなりあって(というかほとんどそう)、例えば、フィリップはバーナムに口説き落とされるのに丸一曲分の渋りと葛藤を見せるのに、マイノリティたちはバーナムの一言二言ですぐやる気になったりとか。本来ならフィリップと同じくらいもしくはそれ以上の葛藤があってもおかしくないと思うんですけど、彼らにはそれを表現することすら許されていないのかと思うと腹が立ちます。フィリップとバーナムの曲がすごく出来のいいかっこいいものだからこそ尚更。だってその時予想できたフィリップに起こり得る最悪の事態って、「世間からの評判が地に落ちる」くらいでしょ?そんなのどうでもいいとまでは言いませんが、マイノリティたちにとっては命すら脅かされかねない決断ですよ?実際その後みんな死にかけるし...。それを即答て...。

あとこれは言うまでもないような気がしますが、無残に何もかも失ったバーナムに、サーカス団の彼らが見返りなしに優しく手を差し伸べるわけないでしょ普通に考えて。ありのままの自分が輝けると思ってサーカスに入ったのに使い捨て要員のように扱われ、経営者はサーカスほったらかしで自分のエゴのために動き、オペラ歌手とツアーに行った挙句破産して帰ってきてギャラも支払わないし深く反省してる様子もない...こんな仕打ち受けて許せるんですか普通の人は???私には絶対無理です。百万歩譲って「サーカス団が自分の場所となり家族となった」という描写を素直に受け入れたとしても、そこにバーナム必要なくない?ってなりません?だってずっといなかったし...。マイノリティはなんでも笑顔で許してくれる妖精じゃあないんだよ。彼らも一人一人自己を持った人間だってことちゃんとわかってる...?わかってないよね...?そういう描写だったもんね...?どこまでもバーナムに都合のいい存在としてしか描かれないマイノリティたち...こんな描写ばかりしといてな〜〜〜にがcelebration of humanity(人類の祝祭)だよって感じですよ。celebration of able-bodied white male(身体的に健全な白人男性の祝祭)でしかないわ。寝言は寝て言え。

 

"This Is Me"はなんだったんだ

一番謎なのは、"This Is Me"という本当に本当に本当に素晴らしい楽曲がありながら、なんで全体を通してこんな悲惨なストーリーテリングしかできなかったのってことです。"This Is Me"は、傷つけられてきたマイノリティたちが怒り、自分たちのありのままの姿を恥じずに肯定し賞賛する曲で、日陰に生きていたものに勇気を与える真のエンパワメントソングになっています。

この、本来ならばストーリーの大きな要となるはずの"This Is Me"、歌曲内のメッセージは完璧で言うことないのに、その後の描写がこの曲の内容に全くついていけてないから、結果的に歌のメッセージにも説得性がなく表面的に見えてしまうんですよね。全体から浮いてさえ見える。なんでこうなってしまったの...。

歌詞を少し引用します。

"Hide away," they say
「隠してろ」と彼らは言う
"'Cause we don't want your broken parts"
「お前の欠けてる部分なんて見たくないんだ」と

"Run away," they say
「退散しろ」と彼らは言う
"No one'll love as you are"
「ありのままのお前を愛する者は現れない」と

"This Is Me"では、周りから呪いのようにかけられ続けたこれらの言葉を否定し、「もう自分のことを恥じたりなんかしない、これが私(this is me)なんだから」というメッセージに繋げます。しかし、『グレイテスト・ショーマン』という作品全体では、この歌詞に出てくる「彼ら(世間の声)」から全然抜け出せていないと思いました。だって全体を通して見えてくるのって「欲しいのは表面的な多様性であって、マイノリティの持つ苦しみや怒りや傷なんかには興味ないから」という姿勢なんですもん。「マジョリティありきのマイノリティ描写」部分でも書きましたが、この作品に出てくるマイノリティってマジョリティの都合のいいようにしか描かれていなくて、人間味が全くと言っていいほどないんですよ。バーナムに不条理な目に合わされても怒らないし、傷つかないし、笑って許しちゃう。これってまさに「世間」の求めるマイノリティ像なんじゃないかと思うとゾッとします。歌詞内の、否定されるべき世間の声である「ありのままのお前を愛する者は現れないんだから傷なんか見せるなよ、そんなのは求めてないんだ」をそのまま全面に出しちゃってるんですこの映画は。マイノリティはただ娯楽を提供する存在でしかない。まじで何考えてんの?

 

最後に

史実を謳いながら、マイノリティの人間がマジョリティから受けてきた差別の歴史や痛みは徹底的にカットするか美化したこの作品を、マジョリティ側の人間が「細かいことはいいじゃん!」と言って無批判に「楽しく」消費してしまうのはある意味暴力的でさえあるんじゃないかと思います。マジョリティにとっては「細かいこと」でも、マイノリティたちにとっては自分の尊厳に関わる問題で決して軽んじられるべき部分ではないのだから。この圧倒的に配慮と敬意の足りていないマイノリティ描写を「細かいこと」と言って無視することができるのはやっぱり自分の特権に無自覚なマジョリティ側の人間だけなのではないかなと思いました。そしてその姿は自分の欲と好奇心を満たすためにマイノリティの尊厳を踏みにじったP.T.バーナムや見世物小屋の観客たちに重なってやきませんか...。